幸せさがし
幸せさがし
風呂上がり冷たい水がおいしい! 暖かくなりすぎた体が欲しがる冷たい水は、単に美味しい水ではなくて、 幸せを運ぶ水としてのイメージがある 喉を通る時の爽やかなしぶきは、瞬間、何にもましてわたしを幸せにする 義務感や、世間的な見栄、プライド、母としてや、妻としての立場、 もう若くはないという自分の立場「年寄りとしての自覚」など 自分から絶対とりはらうのが不可能だと思いこんでいたことから ただ一度だけすべてから、スルーしたことがある 二ゲルことができない苦くて苦しいことが背景にはあった それは スルーしたなんて、格好つけて言えるようなことは当然、なにひとつなく だだ みっともなくて、みじめで、せつなくて、むきだしで いいとこなしの自分を曝け出しただけのことなのだが。。。 しかし スルーしたという行為そのものからわたしは、おもいかけず その時まで わたしが心底でもとめていたものがなにだったのかを 確かめることになったのだ スルーするという その方法が一番よかったのかどうか そして 今では ブレイクして捨てさることで得たものが、今後どのようにして わたしのなかで 収まっていくのかは これからの私自身の生き方にかかっているんだと おもうことにしている とにかく 私の中で出口をもとめていたものたちが 溢れ出し、あぶりだした思いは、苦くて苦しいものだったことは確かだ 苦くて苦しい事実と闘いの間 しんどさに 自分はここに、存在すらもしていないのではないか? 「ふいのことですもの正々堂々と出来ないのは当たり前だ」 とか、ぼんやりと考えたりもしていた が しかし 当然 そんなやわなたわごとは、すぐに、打ち消される 事実がある その上、わたしは、 理性で、本当は 今おこっていることがいつもキチンとわかっていたのだ 認めなくてはならないと。。。。 分かっていた 多分ずっと泣いていたんだと思う 涙は、ブルンブルンと飛び散っていただろうか あの時から、もう3年7ヶ月過ぎた 「コップに差したコスモスが少し大きく見えるのは?新しく変えたメガネのせいかしら?」 花が小さく揺れている 幸せに大小があろうか? 思った通りのサイズで幸せはあるのだ スルーして爆発してモエカスになってからわかったこと それは 幸せに、大小はないという そんな簡単なことだったのか? 欲しい時に水が飲める幸せを、飲み終えてからも わたしは、シッカリ覚えていなければならない 覚えているということは 共に在るということだから
by artartart100
| 2013-09-25 23:51
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