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<   2007年 03月 ( 14 )   > この月の画像一覧

   
             

      
              ♪。♪。♪。♪。♪.♪。


☆1番初めは一の宮          ☆いちいち申し上げますれば  
2は日光の東照宮           二の口村に 三代続いた百姓が 幸せが悪くて
3は佐倉の惣五郎           5年このかた ろくなつくりも得いたしません
4は又信濃の善光寺          質におき 鉢をはらい 食ろうようがないとて
5つ出雲の大社              途方にくれて申し上げます
6つ村々鎮守様
7つ成田の不動さん          十分な世の中に 食ろうようがないとて
8つ八幡の八幡宮           鉢をはらい質におき ろくな奴ではあるまい
9つ高野の弘法さん          言語同断 死罪におこなうべきところ
10は東京の二重橋          三代続いた百姓なれば憎っくき奴だが
これほど信心したけれど        一度は許す
波子の病は治らない
武雄が出征する時は
白い白いま白いハンカチ振り振り、ねえ、あなた
速く帰ってしょうだいね
ぽっぽっぽーと出る汽車は
武雄と波子の別れ汽車
再び会えない汽車の旅
泣いて血をはく不如帰



昔の歌が口に出る。
不思議と忘れないものだ。
意味も分からず歌っていたのが懐かしい。
忘却とは忘れ去ることなり という歌の文句があるけれど、一度習慣化されて覚えたことはなかなか忘れられない。

何事も、アッパレ 忘れ果ててしまえば一件落着なのだが。。。。フフフフ

忘れないということは、自分にとってなにか意味のあることなのだろうか?

一人で沢山の時間を抱え込んでいた子供時代、顔も知らない(勿論会ったことも無い)二階のパンやのお兄さん(?)の歌声にあわせて小さく口ずさんだ歌の数々。
人恋しかったあの頃、その声の主の顔を想像で思い描いては楽しんでいたのだが、不思議なことに今でも自分でつくったその顔が忘れられない。歌は演歌だったので、演歌を聞くと、ふいに、ありありとその想像上の顔が、目の前に浮かび上がる。
あんがいどこかで巡り合っていた人かもしれないが。。。記憶では、パン屋のお兄さんには一度も会ったことはない。
創られたその顔は(妙な言い方かもしれないが)わたしにとって演歌歌手の顔の 原点 だ。
決まった時間に聞こえてくる歌声は、子守唄のようでもあり、垣間見る大人の魅惑にみちた世界へのガイドさんのセリフであったりもした。
勿論
学校が終わってから、明日の朝までの間、延々と繰り広げられる、たった一人での退屈な、長い時間の前触れの合図でもあったのだ。

ともあれ、
当時、彼はわたしにとって楽しい時間を共にする大切な友人だったことに間違いはない。

そのようにして考えるとなんと沢山の人々のお世話になってきたことだろうか?
古い歌をうたうと、イロイロなことが思い出される。
  
             ♪。♪。♪

山の麓の薬屋さん 白墨刻んで粉薬、お馬の小便水薬、それっ、鼻くそ丸めてまんきんたん、それを飲むのはアンポンタン
 
5歳か6歳の頃、父からの指名で、沢山の医者の前で宴席の座興として歌わされたこの歌、ほとんど、毎夕歌っていたのだが、ある日突然恥ずかしくなり歌えなくなった。
鼻くそとか小便とかアンポンタンがどうしても言えない。
直立不動のまま、途方にくれてしまったのが昨日のようだ。

             ♪。♪。♪
いちかけ、2かけ3をかけ、4かけで5かけて橋をかけ、橋の欄干手を腰に、遥か向こうを眺むれば、17.8の姉さんが花と線香を手に持って、姉さん姉さんどこ行くの、わたしは九州鹿児島の西郷隆盛娘です。明治10年戦役で切腹なされた、父上の、お墓参りに参ります。お墓の前には魂がゆうらりゆらりと、ジャンケンポン。

歌の終わりの ゆうらり あたりから走り出す用意をして待っている。

歌い終わると、一斉に皆でキャアーっと叫んで走りだす。
何歳位のことだったのか?

古い歌は時間を越えていく。
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by artartart100 | 2007-03-31 05:47

母の散髪

  
         母の散髪

わたしの母はおしゃれである。
兄弟姉妹の中から、同じくおしゃれを自認するわたしに、散髪係りの白羽の矢が当たった。
一応名誉な役目だと思っている。
だから、張り切るわたしです。
おしゃれな母だから、当然注文も多い。
毛染めの色選びは慎重に、その色は黒からず、赤からず、勿論黄色は(派手だからではなく)似合わないからだめだという。
足が弱ってからの母は、おしゃれをしてどこかへ行こうとは思わない。

人にどう思われたいかで、毛染めの色選びをするのではないということは、わたしには、言われるまでも無く分かっている。。。。。つもりである。
母は
なにごとによらず品格ある 自説 を持つ。
(と。。。。。わたしは思っている)
そこで
色のことでも、当然、自説の講釈が始まるのである。
何色が日本人には似合うとか、年齢による色選びについてとか、色自身に品がある無しまでをジックリと聞くことになる。
(みなまでは聞かずにいることが多いのだが。。。)
速く仕事にかかりたいわたしは
(ふうん、ふうん)と、つい2度の ダブル返事 が先に出てしまう。
しかしながら、
そんな時の母の顔はとても真剣で、大真面目。
そこでヤッパリ、わたしも真剣に色選びをすることになる。
その上、母の喜ぶ顔がみたいばかりに、毛のために良いと書かれた効能書き付きの毛染め液を、馴染みになった薬局で、大真面目に探すことになる。。。。のである。
新商品に目が行く時は、母の嬉しい顔が目に浮かぶ。

そして、毛染めが始まる。

大体5分で出来上がる。
10分ほど置きシャンプー。乾かしてからカットをする。
カットも大体5分で完了。
とにかく、こんな5分10分の散髪でも母にとっては、一大事件。
散髪が終われば、すぐさま
ちょっと疲れた母を
(1日の残り23時間以上ある)常日頃の生活に、御返ししなくてはならない。
そっと母の部屋を後にする。

その短い間に、母は何度も何度もわたしを褒めてくれる。
上手に出来るねえとか、さっぱりするとか、いい色だとか、ちっとも毛が痛まないのはありがたいとか、イロイロ嬉しがらせてくれる。
正直鼻たかだかである。
でも
どんな嬉しい言葉よりもわたしが本当にうれしいのは、母が本気でうれしがっていることが分かる時だ。



通りがかりに母の部屋をヒョイと覗くと小さな手鏡を覗き込んでいる、母の姿を見ることが出来る。
常時母のベットの横には、小さな手鏡がある。その古ぼけた小さな手鏡をチョット覗いては、おすましの顔を作り、すぐに又パタパタとそれをしまいこむ。
また、すぐに鏡を取り出しては、見なおしている。繰り返し楽しげに鏡に自分を写す。
時にはまじまじと、自分を見つめたりもしている。
嬉しげに、楽しげに。
出来上がったヘヤースタイルに手をやりながら。
顔には、幸せの笑みまで浮かべて。
 

小さな幸せをプレゼントさせていただいたと思える、達成感溢れる一瞬である。

足るを知る母だとつくづく思う。

何かが足りない状態の時は、大きな変化がおとづれる時だと思う。
変化に対して、身構えることや、時間をかけて考えることはできても、母のように足りたものを素直に喜べない。
足りないままのものや
足りないことに執着し続けてしまうからだろうなあ。

足るを知る人は、周りの人も幸せにする。

母から学んだことである。

とりあえづ、ふり  からでも始めるかなあ!

周りの人のためにではなく、自分自身にために。
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by artartart100 | 2007-03-29 13:21

キリンのうんこ

           
                  きりんのうんこ
春は動物園。

当たり前のことだが、
乗り物に乗らないと動物園には、行けない。
最近,わたし
いわゆるちょっとした出不精がすすんでいる。
家にいるのが一番気楽。
せっかくの休日に出かけるのは、とても、めんどっちい。
それでも動物園には
行きたい。
そして、沢山の動物達に会いたい。

動物園に着いてからもイロイロなめんどっちいことが待っている。
乗り物から降り、切符の手配をしたからと言って動物さん達にすぐに会えるわけではない。
入園してゲートを潜ってから、歩く。
(走りだしたいけれどなぜか歩いているわたし)

さて、
御対面はさりげなく、そして、一方的に。簡単に。
ただ、ただ、彼らのステージにわたしが近づく。
近づいてもべつに喜んで歓迎をしてくれるわけではない。それどころかまあ大体は無視をされる。
歓迎もしないし無視もする。
しかし、時に(たぶん偶然です)彼らとバチリ、目が合うことがある。
そんな時はもうメチャメチャうれしい。

それはもしかして、スターと目があった、おっかけさん の心境だろうか?
隣に立っているぼやっとした人達に、
(チョットチョットわたしなのよ。わたしを見ているのよ。)と
自慢し、告げて歩きたい心境。
(わあいわい、見ーちゃった見ーちゃった~目が合っちゃった。)
そんな風です。

ゴリラとも目が合う時がある。

ゴリラと目が合うと正直ビビリます。
怖くてビビルばかりではなく、(勿論怖いけど)
ちょっと曰くいいがたいビビリです。
威厳を前にした恐れに近いビビリとでもいえばいいかしら?
大きさに威嚇されるのでは?とおもうでしょう?
NO~大きさだけではありません。怖さだけでもありません。
ぞうさんやキリンさんかばさん達とは、違う感情で目合わせが楽しめます。そして、
いかにも凶暴そうな、わにさんとも違ったビビリの目合わせが出来ます。
ゴリラとは、
目があったとたんわたしからヘラヘラ笑いが消えていくのがわかります。。
それはカメラを通して目があっても同じなのですよ。
何故でしょうか?
まあ、そのうち、何故なのか?私流に考えてみることにしましょう。
が、そのまえに
(だれか教えてくださるとうれしいな。。。。ゴリラに詳しい人いませんか?)
たぶん飼育係りの人にきいても、個人的感情のせいにされるでしょう。
でも、それも勿論NO~です。
ゴリラの不思議さはその他にも沢山あると思いますから。。。

枕が変わると便秘になる人がいます。枕が変わらなくても便秘の人もいます。
申し訳のように少し出すひとがいます。毎日食べた以上に出すひともいます。イロイロです。

人は大抵の場合、トイレで用をたしますが、動物には、お気に入りの場所はあっても、特定のトイレというものはありません。
便の掃除は大体飼育かかりの仕事になっていますが、
これは毎回動物達の健康チェック上入念に行われます。
便の様子からいろいろなことがわかるそうです。

今評判のレッサーパンダが、とても素晴らしい小屋に住んでいる。
他の動物とはあきらかに扱いが違う。その
ピカピカの小屋で、大勢の見物人の前、ものすごいうんこをした。
見物人もはっとするほどのたいしたものだった。
まさに見かけによらないとはこのことでしょうか?
連れと脇をつつきながらコソコソ、クスクス。
何故コソコソ、クスクスかって?
あまりにもの大御殿の主人公に圧倒されている始末なのです。


きりんが枝付の葉を食べている。
黒くて長い舌、足踏みしながら下顎全体でむしゃむしゃ。そして、ぽろぽろとうんこしている。小さくて丸いうんこは歩きながらぽろぽろするので、まるでうんこの行列だ。
さっき見たレッサーパンダのとは対照的だ。
そこへ、飼育係りさんが、新鮮な枝を持って現れた。
早速、連れが2頭のうんこの違いについて質問をした。
連れがこのての話を、大真面目にしても、だれも怪しまない。本人、本気の大真面目だからでしょう。
以下が飼育係りさんとの真面目な話。
(キリンのトイレ掃除は大変なのですよ。歩きながらすこしづつするでしょう?腰にきますよ)
(本当にぃなんであんなにでかい体からあんな小さなうんこをするのでしょうかねぇチビチビしないでまとめりゃあいいと思いますがぁ)
(キリンは体は大きくても弱い動物なのですよ。弱いからいつでも逃げられるように、歩きながらするのです。小さく切れのよいうんこはキリンの特徴です。)

なかなか、得がたい話でしょう?

そういえば、正しい兵隊さんの条件に(はやぐそ)というのがありましたっけ。

もし、特に何も考えることが無い時には
自分のトイレの使用時間、その内容、等に思いをよせてみてはいかがでしょうか?

いかに平和な毎日をおくっているか、人間の歴史やDNA、をうんこ的に考えてはいかがでしょうか?
そして、今度動物園に行ったら是非、
キリンのうんこを探してください。
彼らの 生きる力 に感動してください。
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by artartart100 | 2007-03-27 07:28

Zoo

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by artartart100 | 2007-03-23 18:16 | 今日は何の日?

マチス

        マチスの素描

マチスの素描でとても好きなモノがある。美しい女性が頬ずえをついている。
この絵

簡単な額に入っていて、いつもわたしのそばにいる。
だから

毎日の生活の中で、なにくれとなく、
目の端に入ってくる。

もともと絵を描いたり見たりが大好き人間のわたし

ふとこれは、
(自分の作品ではないか?)マジそう思う瞬間すらある。ハッハハッハ~。

さて、この名画であるが、

自分で描いた絵のつもりで見ていると、鑑賞とは又違った不思議な
見方が出来る。そこがとても楽しい。
ある日ふと
面白いことに気がついた。
この絵は、色彩も無く、
微妙な陰影も無く、単純な線のみで描かれている。
だから、簡単にその
線の数を数えることができるのである。
線の数を数えるなんて不謹慎なのだが、なにせ親しさがなせるわざなのでご容赦いただきたい。
勘定してみた。
驚いた!

な、、、な~んと
なんと、その数30本にも満たないのである。たったの30本!
この絵の正体は、はやくいえば30本にも満たないこの線だったのだ。

勿論、わたしのもっているマチスの素描は、バリバリの複製品だが、
それでもこの絵に千数百円程支払った覚えがある。

さて、本物のマチスの絵、一本の線には、一体全体どの位の値段がついているのでしょうね?フフフ

最近
春の日差しになって、猫の毛がやたらと目立つようになってきた。
わたしのセーターについた猫の毛はいつのまにか、スッカリ、セーターと同化してしまった。
もとの姿がもう、分からない。
色だって赤だったのか、茶だったのか、今や全体に薄汚れて見えるのみ。

なのにいつだって、セーター毛玉の元祖である、我が家の猫殿は
(どの猫も当然そうなのでしょう)あくまでも、スッキリとしていてカッコイイ。
噂の彼は今や、もうすでに、春色の毛並に変身している。
その動作も(暖かくなってきたせいでしょうね。)
益々のんびりとして、寛ぐ時間も一層長くなっているようだ。
体なんかも一回りデカクなっている。
ぶわーんと大きなあくびをしている姿には、威厳すら感じられる。ホント。
風呂にもはいらず、床屋にも行かずに、しかもスッキリと美しい。
なんと、不公平ではありませんか。

わたしはといえば、春の日差しと戦いながらセーターについた猫の毛を取り、
鏡に映ったわが身のしわやしみに一喜一憂し、風呂や美容院でシミジミとしたりしている。

ついでに、マチスの素描の線の数を数えたりもしている。

ついでにもう一言加えれば、
猫とわが身を比べたり、マチスの線を数えたりしていると
イロイロな錯覚が消えて行き、不思議な感覚になるのです。
それは、
新鮮で愉快な気分。
物凄い所からはさっさと身を隠し、熱心に、マチスを眺め、猫を怒鳴っているわたしを、
人は時に(賑やかな人)だといいます。
でもね、それはね、
実体のない 美の正体不明さ に困惑しきっている わたしなりの姿 なのです。
慣れ親しんでいるはずのモノを、ある日突然
新鮮に感じ、困惑し、愉快になる。

誰にもきっと、そんな風なことあるんじゃあないかなあ。。。。

そんな時には、わたし確りと、美に実体は無い と言いきれちゃうのです。

美に実体はありませんよと。(これはね、真実かもしれないよ)
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by artartart100 | 2007-03-22 23:22

ペガサス2

ペガサス
釜を開けるたび
またまた、なんとかしなくては、と焦ったが、失敗恐れるに足らずと、捨て身になって、
4度5度6度と焼成。ちょっとずつ手なおし、しながら。
しっかし、
基本的には、大きく色で間違えたなあ、、、、、
とりあえず、気を入れ替えて、あ~あ~い~い~
もう1度0から作り直し。
2~3割小さい皿でペガサスを中央に押し出そう。
(中心に大きく)
回りは色をもっと薄く、、散漫にならないように気を付けよう。
バックは、葉を描くだけでなく自然の感じをもっとだしたい。

。。。。。。。。。と、いうわけで、下絵を描きなおした。
今度は、やり方を少し変えてみよう。
まず、下絵で1回目焼成をしよう。
ゆっくりと、丁寧に。(忘れないように)
とりあえず1枚目の出来上がりをアップします。

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by artartart100 | 2007-03-15 20:02

ペガサス

   ペガサス
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ギリシャ神話によれば、ペガサスはポセイドンとメデューサの間に生まれた子供である。背中に自由の大きな羽を持ち、その羽で大空を飛ぶ。
天馬であるので、彼は乗る人を選ぶ。
英雄ペレロフォンが慢心してその英雄たるべき資格を失ったとたん、空中でその背中から振り落としている。
乗る人を選ぶ天馬を、
美しい馬を、
いつの日か、
形にしたいと思い続けていた。
わたしが、最近はまっているのは食器。
(その食器を使ってペガサスを形にしよう。)
思い立ってから、随分と日がたった。
白磁に色をつけ、焼成する。
時に金盛り技法も使おう。
神話では、ペガサスは白馬だ。
しかし、空を飛ぶのに白では寂しいのではないか?
あまり、周りと際立たずに、自然に、柔らかく、輝かなくてははならない。
ほっそりとして、カラフルに輝くのだ。
羽は大きくて、燃えている。
その羽は、鳥のように現実的であってはならない。
古代ギリシャ語で泉、水源の意味を持つ天馬には、溢れんばかりの水も描きたい。
赤い大地の上に黄金色の粉を降り溢しながら、エレガントな羽が、音も無く羽ばたく。
1度目の焼成が終わった段階で、写真に撮ったのが前回のブログの最初に貼ったものだ。2度目のものは、釜から出した途端に、泣きたくなった。
3度目には写真に撮れるように、と、祈るのみ。
いや、まあまあなのは、4度目でもかまわない。
5度目でも。。。。

何かを創る時、完成途中で、いつも思うことがある。
何を創りたかったのか?
それを、忘れてはいないか?
ともすれば、そこそこにまとめることに、心が向く。
辿り着いた所が、
創りたかったものとは程遠い所でも、まとめることさえ出来れば、頷いてしまう。
出来の良し悪しに汲々としているのだ。
真面目にやれといいたい。
今回は、きれいに、まとめられなくても、出来る所で、とどまろう
出来なかったことを、1つづつ、心に留めよう。
(それを、明日への、のぞみとしよう。)
出来ないことを恐れるのを止めよう。
先を急ぐことはない。
なにを、創りたかったのか?
(それを。明日への、のぞみとしよう。)
写真は3度目の焼成である。
金盛りが終わったところである。
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by artartart100 | 2007-03-13 06:31

ペガサス

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ペガサス

馬に乗ったことがある。
買い物をしたら、籤に当たった、それが乗馬券。
2時間プロがついていてくれるので、怖いことは無いということなので、乗りに行ってみた。
馬場は広くて不思議な空間。
約、100頭の美しい馬がいた。
ピカピカ光った其の体をブラッシングしてもらい静かに俯いているのやら、
子馬と一緒に柵の中でノンビリ歩いているのやら、所在なげに足踏みをしているのやら、
ざっと見て人の数よりも馬の数の方が多そうだ。
乗馬券を持って待っていると、帽子と乗馬靴を貸していただき、いよいよだ。
わたしは、すっかりその気になっているので、ベルトコンベアーに乗っているような気分である。
5分位待つと、
見るからによたよたさんとちょっとカッコイイのとの、2頭がわたし達の前に繋がれてきた。
つまり、本日、幸運にも只乗りさせていただくのは、わたしととなりにいる女性というわけだ。
よたよたさんは、如何にもめんどくさそうに草を探して口をもぐもぐ。
カッコイイ方は、
いかにも利口そうで
キリリとして足踏みをしている。
勿論、わたしを乗せて走るのは、キリリのほう。
幸運にも、キリリのたずなをもったのはわたしだった。
2時間は夢のように過ぎた。
(なかなかすじが良い)というコメントをいただき、わたしの乗馬券に乗せての、
夢はおわった。
帽子と靴を返して、馬場をでたら、
ふいに、涙がでた。
長い間したかった経験が終わっってしまったことへの、お別れの涙だったのだろうか?
少し流した涙はすぐに乾いて、
チョット獣くさい馬場の風をポケットにしまって、
帰宅した。
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by artartart100 | 2007-03-12 17:16

猫と暮らす

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      ねこと暮す
世の中には猫派と犬派が存在する。
犬派にいわせれば、いぬのかわいさはねこの比ではないという。
猫派にいわせれば、反対のことをにいうにきまっている。
勿論、両方共大好きと言う方も居る。


そんな人もどちらか一方しか飼うことが出来ないという条件をつけると、
本音が、出ようと言うもの。
かくいう、わたしは、正当派猫派。
自慢じゃあないが、目の前から猫とコーヒーがなくなったら、
毎日がつまらなくて
顔の形も変わろうというもの。
(だからといって、わたしのことコーヒー色をした、猫顔の女性だと思いこまないでね。
まあ、わたしにとってのコーヒーは、生活の句読点になっているのは事実だが。)
しかし、肝心の猫のかわいさは説明不能だなあ~。
猫とボール遊びをして、野原の散歩を楽しもうとか、
芸をしこんで人様にお見せしようとかってことも、考えられないし。。。
毛並み自慢にもならないほどの毛並だし。
   まっ、
奴が出来ることといえば、お腹がへると、しつこく足元にまとわりついて、
こちらが転びそうになってもエサをもらえるまでは絶対にそれを止めないとか、
呼べど叫べど気がむかないと寝た振りをきめこんで動かないとか、
ゆっくり寝たいので、(あっちにいってね)と追い出しても、
一緒に寝たい時にはどこからともなく布団にもぐりこんでくる。
あげくには、まくらまでも我が物としてぐーぐー。
自慢出来るナイスなこと、。。。。ないなあ。
しかし、自由の申し子とでもいいましょうか?
したいことはするという、あっぱれ根性がすわっていると言う事は出来る。
(アッチコッチ見て、不満をかかえながらも、ブツブツ言いながらも、
やりたくないことでも、多少の事なら、ああ、やっぱりやります。
という情けないパターンはどこを探しても無い。)
自由の申し子さんは、根性を発揮して、毎日を、したい放題。というわけですが、
しかし、まあ、全体として彼のしたい事といえば、たいしたことではないのです。
(わたしから見てね)
自分が転びそうになったら彼を軽く蹴飛ばしてみたり、(暴力といえるかも)、
一人でゆっくり寝たい時は、布団を抱え込んでスキマを作らないようにするとか
初めから枕のスペアーを2個用意しておいて寝るとか。
呼んでも来ないときには
こちらから行くとか、して、わたしもしたいことはすることにしている。
そういう、関係造るのって、人間同士だと結構難しくない?
ありそうで、ないと思いませんか?

ストレスを感じない関係って造りにくいでしょう?
(お前がやるならこちらもやるさ)をストレスなしで出来るのは、
わたしの場合、猫以外にないような気がする。
犬は、あの目がチョット。。。。。
人間には後のこと考えるとやっぱ好き勝ってする前に考えるしなあ。
猫の方もこちらが自然体でつきあっていることは、暗黙のうちに分かっているのでしょう。
蹴飛ばされても、まだ、まとわりつくのを止めない時もあれば、
(そんなら止めた)とひきさがることもある。
その場限りのお互い様ごっこ。
一緒に散歩出来なくても、一切合切芸事はできなくても、
わたしの相棒は、そこにいるだけでオーケイなのです。
ふ~ん、やっぱり、これは、猫好きの理由ではなくて、片思いの戯言ですなあ。

頭の先から、尻尾まで、茶一色の我が家の猫は、11歳のオスねこ。
立派な(フランス語だ)名前だって、あるのにだれもその名を呼ばない。
気分によっていろいろ呼ばれている。
不思議なのは
なんと呼ばれようと、全て自分を呼んでいるのだと理解している素振りをみせることだ。
チャンをつければ、立派に反応するのだ。
たとえば、
ゾンビちゃん、のいてよ。。とか、
茶色ちゃん、いつまで寝てるの?。。とか。
わたしのノーストレス生活は、このようにして過ぎていきます。
猫との楽しいごっこ生活は
止められない。

猫がいなくても笑える日が来るまでは。




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by artartart100 | 2007-03-11 11:25

父と二人


父と二人

家族と別れ、父と2人きりでアパートに住んだ。
わたし、13の春。
学校が終わると、明日まで、ほとんどが一人。
いつ、帰るか分からない父の帰りをただ、ひたすらに待つ。
夜9時ごろがピークで、 一番一人を実感する時だ。
いろいろな家庭からもれる
さまざまな声、ざわめき、におい。
わたし、その、一軒一軒を訪ねては、楽しい輪の中に入っていく。
、、、、、、そんな、夢を見る。
夢の中では、隣人はとてもやさしくて、その上に自然体。
アレコレと尋ねて困らせたり、勿論、田舎の方言を笑ったりもしない。
じーっとして居るだけの時間。
空想の中、ゆめの種がつきるまで、それはつづく。
そんな

弱弱しい、

夢の見方はその時に覚えたのだろうか?
今思うとまるで、マッチうりの少女だなあ。(マッチのないね。)
でも、、マッチ売りの少女と決定的に違うのは、

今、生きていることだ。
生きてこられたのは、それは、
父がいたから。
父と二人励んだのは、、(貯金)
一生懸命。ひたすらに。滑稽に。
目的は聞いていなかったけど、真剣な
目的だった。
父にとって、もしかして、
娘をまきこんでの敗者復活戦だったのかなあ。
わたしがその時、父のたった一人の仲間であり、相棒だったことは確実だ。
そしてそれが
わたしにとっては、このうえない名誉だった事も。
世間へ暗黙の秘密を持つことが、すばらしく、たのしかった。
貯金は、押入れの中の板の上。
10円100円のパラダイス。
10個ずつまとめて
ずらっとならんだそのさまは
何年たっても忘れられない。
一杯になると銀行のノートに
記入されるのだ。
倹約をして貯金することに、幼かったわたしは、悲壮感を感じない。
ただ、
ゲームに夢中になった。
時々
押入れの中を二人で覗いた。
生き生きとして、わくわくとして。
その時だけは、
父は少年になっていたのだろう。
まちがいなく。
そんな父は
わたしの友だった。
この世でたった
一人の。
真の友に言葉は、いらない。
解釈も弁解も喜びを表現しあうことさえも。

わかっていた。
13のわたしには。
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by artartart100 | 2007-03-06 11:28



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