せ⚪
せ⚪
遊びに行く前に、何処に行くのかその場所を母親に告げることー 母と交わしたこんな些細な約束事が 幼い父には、重荷だったという こことおもえば、あちらへもいきたい ましてや友人たちとはなしがまとまれば 思いも掛けない場所にピョンピョンと移動もしたい いちいち、母親に「次はこちらに参ります」などと、報告していたら、 埒があかない 考えた父は、 母親が、何処に行くの?というやいなや、 「せ⚪」と大声で叫んで玄関を飛び出すことにした 「せ⚪ってなに?」わたしがきくと 得意げな顔で父は 「世界中のどこかへ」のことだという そのことばどおり父は 大学を出るや 北京の同仁会病院に赴任となった 数年後、若い父は、独立して北京市、史家小路38番地に外科医院を建てて 独立した そこで大活躍をしたはなしは、きりがないほどあるそうだ 「せぇまる」と独特ないいまわしで楽しそうに笑っていた父を思うと 何故か、 「わたしは、とうとう一度も会わずじまいだった」祖母が、 そんなヤンチャな末っ子の父を見て 目を細め、微笑んでいるようすが目に浮かぶのだ 父は一生を通してヤンチャを通したので そんな父に添い遂げた母は、 いろんな苦労を沢山することになった 母をおもう時、わたしは、 いつも チャレンジャーということばが頭にうかぶ 生活の細々としたことから、ヤンチャな父のしでかした後始末まで 思慮深く考え、そして、着実になにかを実行していった女性だと思う 100歳を超えてなお、笑顔をたやさなかったのは 明治女のお手本だと我が母ながら頭の下がるおもいだ 父の死後 母は、私達一族の希望の星だった その母も、晩年には「もう、お父ちゃんのそばに行きたいわ」と 呟くのを幾度かきくようになるのだがー 母は2011年4月に 父は、生まれたのと同じ月日にあちらに旅立った おとうちゃん! あちらでは、せ⚪なんていって 母を困らせないでね
by artartart100
| 2013-09-06 17:30
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