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              ♪。♪。♪。♪。♪.♪。


☆1番初めは一の宮          ☆いちいち申し上げますれば  
2は日光の東照宮           二の口村に 三代続いた百姓が 幸せが悪くて
3は佐倉の惣五郎           5年このかた ろくなつくりも得いたしません
4は又信濃の善光寺          質におき 鉢をはらい 食ろうようがないとて
5つ出雲の大社              途方にくれて申し上げます
6つ村々鎮守様
7つ成田の不動さん          十分な世の中に 食ろうようがないとて
8つ八幡の八幡宮           鉢をはらい質におき ろくな奴ではあるまい
9つ高野の弘法さん          言語同断 死罪におこなうべきところ
10は東京の二重橋          三代続いた百姓なれば憎っくき奴だが
これほど信心したけれど        一度は許す
波子の病は治らない
武雄が出征する時は
白い白いま白いハンカチ振り振り、ねえ、あなた
速く帰ってしょうだいね
ぽっぽっぽーと出る汽車は
武雄と波子の別れ汽車
再び会えない汽車の旅
泣いて血をはく不如帰



昔の歌が口に出る。
不思議と忘れないものだ。
意味も分からず歌っていたのが懐かしい。
忘却とは忘れ去ることなり という歌の文句があるけれど、一度習慣化されて覚えたことはなかなか忘れられない。

何事も、アッパレ 忘れ果ててしまえば一件落着なのだが。。。。フフフフ

忘れないということは、自分にとってなにか意味のあることなのだろうか?

一人で沢山の時間を抱え込んでいた子供時代、顔も知らない(勿論会ったことも無い)二階のパンやのお兄さん(?)の歌声にあわせて小さく口ずさんだ歌の数々。
人恋しかったあの頃、その声の主の顔を想像で思い描いては楽しんでいたのだが、不思議なことに今でも自分でつくったその顔が忘れられない。歌は演歌だったので、演歌を聞くと、ふいに、ありありとその想像上の顔が、目の前に浮かび上がる。
あんがいどこかで巡り合っていた人かもしれないが。。。記憶では、パン屋のお兄さんには一度も会ったことはない。
創られたその顔は(妙な言い方かもしれないが)わたしにとって演歌歌手の顔の 原点 だ。
決まった時間に聞こえてくる歌声は、子守唄のようでもあり、垣間見る大人の魅惑にみちた世界へのガイドさんのセリフであったりもした。
勿論
学校が終わってから、明日の朝までの間、延々と繰り広げられる、たった一人での退屈な、長い時間の前触れの合図でもあったのだ。

ともあれ、
当時、彼はわたしにとって楽しい時間を共にする大切な友人だったことに間違いはない。

そのようにして考えるとなんと沢山の人々のお世話になってきたことだろうか?
古い歌をうたうと、イロイロなことが思い出される。
  
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山の麓の薬屋さん 白墨刻んで粉薬、お馬の小便水薬、それっ、鼻くそ丸めてまんきんたん、それを飲むのはアンポンタン
 
5歳か6歳の頃、父からの指名で、沢山の医者の前で宴席の座興として歌わされたこの歌、ほとんど、毎夕歌っていたのだが、ある日突然恥ずかしくなり歌えなくなった。
鼻くそとか小便とかアンポンタンがどうしても言えない。
直立不動のまま、途方にくれてしまったのが昨日のようだ。

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いちかけ、2かけ3をかけ、4かけで5かけて橋をかけ、橋の欄干手を腰に、遥か向こうを眺むれば、17.8の姉さんが花と線香を手に持って、姉さん姉さんどこ行くの、わたしは九州鹿児島の西郷隆盛娘です。明治10年戦役で切腹なされた、父上の、お墓参りに参ります。お墓の前には魂がゆうらりゆらりと、ジャンケンポン。

歌の終わりの ゆうらり あたりから走り出す用意をして待っている。

歌い終わると、一斉に皆でキャアーっと叫んで走りだす。
何歳位のことだったのか?

古い歌は時間を越えていく。
by artartart100 | 2007-03-31 05:47
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